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#3.11#原発事故#放射線

放射線の影響について専門家の間で異なった意見が聞かれたのはなぜでしょうか

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東日本大震災と原子力災害の発生直後、専門家によって「安全」「危険」と見解が分かれたことで一般生活者が混乱したというケースがあります。専門家でも意見が異なる場合があるのはどうしてなのか、整理しました。
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3.11発生当時の情報の混乱について調べたい人
有事の際、専門家の見解をどの程度参考にすべきか知りたい人

分野違いの「専門家」は見解が異なる場合がある。
どんな分野の「専門家」が何を発言したのかに注目すること

原発事故後に放射線の生体への影響について、専門家からは安全なので大丈夫という見解と、放射線量が高く危険との見解が分かれてしまい、一般の人たちからは、何を信じていいのかわからないという声が聞かれました。

放射線は広島・長崎の原爆のような一瞬にして数百ミリシーベルトといった高線量を被曝した場合と、長期間に渡って低線量を被曝する場合に分けて考える必要があります。
高線量被曝の場合は血球数の低下や皮膚障害など、線量に応じて明らかな人体影響が生じることが医学・生物学的に分かっており、確定的影響と呼ばれます。

一方で100ミリシーベルト以下の低線量では確定的影響は見られず、将来のがんの可能性が示唆されるだけです。
子孫への遺伝的影響については、原爆被曝者の追跡調査によって、明白な影響が観測されないことが分かっています。
がんの可能性については因果関係を証明することはできないものの、線量に応じてその確率が増えるとの仮説が提唱されており、確率的影響と呼ばれます。
専門家の意見が分かれたように見えたのは、この低線量被曝に関する解釈の問題でした。

さて、原発事故に対して放射性物質や放射線に関する研究分野は、原子力工学、原子核物理学、放射線物理学、放射化学、放射線生物学・医学、放射線防護学、環境学、農学、食品衛生学、リスク学、社会心理学、科学技術社会論、法律論などと、実に多様な学問分野が絡んできます。
その全てに精通した専門家など存在するわけがないので、どんな分野の「専門家」が何を発言したのかに注目する必要がありました。

たとえば、原子力工学の専門家が、「ホルミシスと言って、放射線は少量ならむしろ浴びたほうが健康にいいとの説もある」とテレビで発言したりしましたが、そのこと自体はそういう説も確かに存在するものの、放射線生物学において主流な意見とは言い難く、原子力分野の専門家が敢えて言及することで、事故の影響を小さく見せようとしているのではないか、との疑念が当然ながら生まれてしまいます。

また、放射線医学の専門家が「100ミリシーベルト以下の被曝は安全で問題はない」と発言したのは言い過ぎで、本来であれば「がんの増加があったとしても100ミリシーベルト以下では増加率は0.5%以下と考えられる」といった科学的知見を述べるべきだったと思います。
医者は患者を安心させるのが仕事だとの信念から、安全を言い切ったほうが無用な不安を解消できるとの思いがあったようですし、断定してくれることで安心できた一般の人も居た反面、0.5%という数値をどう捉えるかは人それぞれなため、科学的事実を超えて、専門家が安全という判断まで示したことに対する反発も聞かれました。

また、混乱期に政府の対応と科学者の発言に齟齬が見られたことも多く、結果として政府も科学者も信頼を失ったという社会的背景もありました。
その一方で、「放射線は原理的に細胞のDNAに損傷を与えるのだから1ミリシーベルトでも危ない」と喧伝した専門家には、放射線生物学や防護学の知見を踏まえない個人的な意見を述べた人も多く、そうした分野違いの「専門家」の見解に一般の人が混乱させられたという状況があったと考えています。

この問題に関しては、興味のある方のために、さらに掘り下げた議論を展開したいと思います。こちらをクリックしてください。

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この記事を書いた人

鳥居 寛之

東京大学 大学院理学系研究科 准教授
東京大学大学院理学系研究科物理学専攻博士課程修了。博士(理学)。東京大学大学院総合文化研究科助手・助教を経て現職。第1種放射線取扱主任者として放射線管理にも従事。専門は放射線科学、素粒子原子物理学。宇宙線にも含まれるミュー粒子という素粒子を含んだエキゾチック原子を加速器施設で生成し、その分光実験によって素粒子の性質を精密に調べる研究を進めている。一方で、福島原発事故以来、放射線教育に注力し、大学での数々の講義のほか高校・一般向け講座も多数担当した。科学コミュニケーションの教育・研究にも携わり、特に、放射線に関するTwitterビッグデータ解析に異分野協同で取り組んで、SNS時代における科学者の情報発信と社会とのあり方を考え続けている。

著書
「放射線を科学的に理解する — 基礎からわかる東大教養の講義」丸善出版 (2012)(共著筆頭著者)
「科学コミュニケーション論の展開」東京大学出版会 (2023)(一部分担)