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##福島第一原発事故#ECRR#ICRP#内部被ばく#原爆症認定

内部被ばくの危険説について 第2回:内部被ばく危険説の歴史的経緯とECRR

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内部被ばくリスクに関する疫学データ、ICRPによる通説と、危険性を大きく見積もった説(特にECRRの主張)を科学的・社会的観点から検討し、歴史的背景や裁判例を紹介しながら整理します。
広島・長崎での被爆という歴史から紐とき、原爆症認定訴訟を経て、福島原発事故後の内部被ばく危険説の流れと、その社会的な落としどころを考えるヒントが得られます。
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福島第一原発事故後の放射性物質による汚染の問題を身近に感じてきた人。
広島・長崎の原爆の放射線影響に関心がある人。
放射線と社会の関係を整理して考えたい人。

内部被ばく危険説の歴史的経緯とECRR

なぜ、内部被ばく危険説が影響力をもつようになったのかを考えると、歴史的な経緯に行き当たります。ひとつは、アメリカを中心とする核兵器開発の歴史で、内部被ばくを無視することにより、当のアメリカでの核開発に従事した労働者や原発労働者の健康被害を隠蔽しようとしたという説があります(ICRPはその流れで作られたとも)。また、原爆傷害調査委員会(ABCC)(後に放射線影響研究所(RERF)に改組)による、治療を目的としないで実施された広島・長崎でのLSS調査への不信感がありました。そして近年の原爆症認定(被爆者健康手帳の交付)に係る多数の不認定判断と、それを不服とする訴訟に国が連続して敗訴してきたという事実があります[1]。この訴訟の過程で、線量評価がガンマ線・中性子線の外部被ばくを基本とする線量評価体系(DS86/DS02)が批判され、「黒い雨」をはじめとする放射性降下物による内部被ばくの影響が主張され、原爆症の原因として可能性が否定できないとして認められてきました[2]。これらの訴訟にあたっては、原告たちは沢田昭二氏(名古屋大学名誉教授、日本原水爆禁止協議会代表理事)の内部被ばく危険説[3]を主張の根拠としました。

つまり、外部被ばくでは線量は小さくても、内部被ばくをはじめとした放射線が理由である可能性が否定できないために、裁判では幅広に救済が認められてきたのです。裁判所は、多くの判例において「否定できなければ放射線起因性あり」とする立場をとりました。しかし、線量評価や放射線影響を専門とする科学者たちは、裁判では国側に立ち、沢田氏らに対する反論する意見書(沢田氏の論旨が循環論法であることや、脱毛や出血、下痢などから線量に換算する方法の問題の指摘、放射性降下物による被ばくは小さいと評価されていることの指摘など)を出して、内部被ばくの影響は科学的には小さく、放射線起因性は認めがたい旨の主張をしましたが[4]、裁判では支持されませんでした。

国際的には、欧州放射線リスク委員会(ECRR)が活躍し、内部被ばくの危険性を強調する活動を繰り広げ、日本国内でも沢田氏らとも連携して一定の支持を得ていました。筆者も、沢田氏に質問し、お答えいただいたことがありましたが、その当時は、十分に議論を深めることはできませんでした[5]

現在の私の観点からは、次のようなことを指摘できます。沈着した微粒子による腸壁や頭皮の細胞への密度の高い電離のために、下痢や脱毛を引き起こしたという沢田氏の主張は、現在のICRPやICRUの内部被ばく線量評価法(呼吸器モデル、消化管モデル、線量換算係数など)と整合的な形での議論になっておらず、線源特性、分布、沈着挙動、線量評価が伴った定量的リスク評価にはなっていません。仮説の上では、整合性はあるようにみえますが、仮説の根拠が、現在の核医学などのベースとなっている内部被ばく線量評価モデルと乖離していると言わざるを得ず、それが覆されるほどの根拠が示されているようにはみえません。また、広島・長崎はいずれも、火球が地面に接触しない「空中核爆発」に分類される高度での核爆発であり、ビキニやセミパラチンスクなどの核実験場で実際にあったような、火球が地面に接触して土壌を巻き上げて周辺に降下する「地表核爆発」のような、Sv単位の大きな線量をもたらす放射性降下物が発生するような爆発条件ではありません。「黒い雨」による放射性物質の降下は存在したと考えられますが、既存の推計値からみても、爆発直後の初期外部被ばくを上回るほどの線量が、追加的に生じたとみることは困難です[6]。脱毛や出血、下痢が原爆被爆者に発生していたことに留意しても、それをそのまま内部被ばくの影響に帰することは難しいでしょう。

さて、2011年に福島第一原発事故によって放射性物質が拡散されると、この内部被ばく危険説が一部で強く主張され、ICRPの放射線防護体系には不信の目が向けられました[7]。この内部被ばく危険説は、原爆被爆者の原爆症の認定をするための理論的根拠として支持を集めていたものの、それが今度は福島県内で事故後も暮らす人たちに対して、避難を促す言外の圧力となり、偏見を助長する根拠にもなってしまったと言えるのではないでしょうか。

ECRRは、内部被ばくの場合は線量を600倍に考えるべきとか、今後200 km圏内で40万人のがんが超過発生するといった極端な主張を行い、多くの人を恐怖に陥れました。一方で、そのECRR科学秘書であるChristopher Busby氏が被ばく抑制のためのサプリメントを販売していたのが明らかになり、疑問が向けられるようになったこともあり、現在は支持する人は少なくなったように思われます。しかし、ICRPに対する不信感も手伝い、震災直後はある程度の影響力をもっており、「放射線の健康影響に関する国際基準については 、ICRPに加え、ECRRの基準についても十分検証し、これを施策に活かすこと」と国会での決議に示されたこともありました[8]

 

[1] 「原爆症認定にかかる司法判断の状況について」(厚生労働省、2011)に説明があります。https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000001p736-att/2r9852000001p78f.pdf

[2] 例えば「原爆症認定申請却下処分取消等請求控訴事件」(平成20年5月30日、大阪高等裁判所)。https://www.courts.go.jp/hanrei/36731/detail5/index.html

[3] 沢田昭二氏の説については例えば次の意見書を参照。http://1am.sakura.ne.jp/Nuclear/kou82Sawada-opinion.pdf

[4] 例えば次の意見書がある。鈴木元、他、「放射線の人体影響についての意見書」(平成22年11月30日)。https://web.archive.org/web/20170330140422/http://h-neophile.com/contents/housyanouiryou/jinntaieikyou.pdf

[5] 基研主導研究会 2012—原子力・生物学と物理  事前討論No.5 「沢田昭二氏の回答」https://www.jein.jp/activity-report/symposium/nbp2012/pre-discussion/1125-discussion5.html

[6] 黒い雨とともに地表沈着した放射能による地表1mでの2週間の積算空間線量(空気吸収線量)は10~60mGyという試算があります。今中哲二, 「広島原爆の黒い雨にともなう沈着放射能からの空間放射線量の見積り」, 広島原爆”黒い雨”にともなう放射性降下物に関する研究の現状, p.89, (2010), https://www.mhlw.go.jp/content/10901000/000694132.pdf

[7] 例えば、次のようなパンフレットがある。「低線量内部被曝の危険を⼈々から覆い隠すICRP学説の起源」, http://www.inaco.co.jp/hiroshima_2_demo/pdf/20150501.pdf , 「福島原発事故後の日本 内部被曝はより危険」https://saiban.hiroshima-net.org/pub/panf03/202110_3.pdf

[8]原子力規制委員会設置法案に対する附帯決議 (参議院、2012),  https://www.cas.go.jp/jp/genpatsujiko/info/0620seiritsu/sanketsugi.pdf

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この記事を書いた人

一瀬昌嗣

合同会社一瀬研究所 代表社員
専門:原子核物理学、放射線測定。

高エネルギー重イオン衝突のシミュレーションによる研究を行い、北海道大学にて博士(理学)の学位を取得。
神戸市立工業高等専門学校 准教授、原子力規制庁 国際・放射線対策専門官、ミリオンテクノロジーズ・キャンベラ株式会社 M&Eエンジニアなどを経て、2024年から独立。同社と連携しながら、放射線測定・評価の実務を継続しつつ、新規の分野開拓を志向し、現在に至る。

著書:「放射線必須データ32」創元社 分担執筆
Web: http://isse.jp/